京大・福井謙一記念研究センターで学ぶ、研究を加速するAI材料シミュレーション──ENEOSと共に「最高のCO2吸着剤」設計に挑む

2025年11月7日、京都大学福井謙一記念研究センターにて、博士課程学生や企業研究者を対象とした「産業応用のための基礎化学講座」の一環として、株式会社Prefferd NetworksとENEOS株式会社が共同開発したAI材料シミュレーションプラットフォーム「Matlantis」を用いた講義と実習が実施されました。産業界の最前線でAI活用を進めるENEOSホールディングス株式会社(以下ENEOS)AIイノベーション部デジタル事業開発グループチーフスタッフの大場優生氏が講師を務め、同社のシミュレーション専門家もアシスタントとして参加しました。オンラインとオフライン合わせて約20名の参加者が、AIによる材料設計のリアルを体験し、基礎化学と産業応用を結びつけるシミュレーションの実践的な活用法を学びました。

今回の講義は「AIが切り拓く材料設計の最前線」と題し、前半の講義パート(30分)と後半の実習パート(150分)で構成されました。特に実習では「最高のDAC(Direct Air Capture)用吸着剤を作ろう」という社会課題に直結したテーマが設定され、参加者たちはAIシミュレーションの圧倒的なスピードを武器に、仮説検証の高速サイクルを体験しました。

「応用をやるには、基礎をやれ」:福井謙一記念研究センターの伝統とENEOS講義

京都大学福井謙一記念研究センターは、1981年にノーベル化学賞を受賞した福井謙一博士の研究理念を継承して、最先端の基礎化学並びに理論化学を展開する研究センターです。本講座「産業応用のための基礎化学講座」は、福井博士が「終生の師」と仰いだ喜多源逸博士の「応用をやるには、基礎をやれ」という言葉の精神を受け継ぎ、産業界で研究開発を行う技術者・研究者を対象に開かれています。

ENEOSは2024年度に引き続き本講座を担当しており、Matlantisを活用した最先端の材料開発手法を、基礎化学の重要性と共に伝えています。

計算化学の常識を変える「AI×量子化学」

前半の講義パートでは、講師のENEOS 大場氏が登壇し、「AIが切り拓く材料設計の最前線」と言うタイトルで講演が行われました。

まず、材料開発における従来シミュレーション手法の課題を整理しました。第一原理計算(DFT)は高精度ですが計算コストが膨大で、扱える原子数や時間に限界がありました。一方、古典力場は高速ですが、電子構造を明示的に扱わず固定結合を仮定するため、結合の切断・生成や電子再配置を伴う反応の再現には限界があります。

こうした“精度と効率のギャップ”を埋める第三の選択肢として、機械学習ポテンシャルが紹介されました。ENEOSとPreferred Networks(PFN)が共同開発した「Matlantis」は、膨大な第一原理計算データを学習することで、その精度を保ちながら、計算速度を従来比で約2,000万倍にまで引き上げることを実現しました。

さらに、周期表の96元素に対応する汎用性と、ブラウザ上で即座に利用開始できる利便性も兼ね備えています。大場氏は、これまで20年かかると試算されていた触媒反応の網羅的解析が1週間で完了した事例などを挙げ、「計算と解析のサイクルが劇的に高速化し、研究開発が“進化”している」と強調しました。

実習パート:「最高のDAC用吸着剤を作ろう」

後半の実習パートでは、「最高のDAC(Direct Air Capture)用吸着剤を作ろう」というテーマで、参加者が実際にMatlantisを操作するグループワークが行われました。DACは空気中のCO2を直接回収し、合成燃料などへ再利用する技術であり、脱炭素社会の実現に向けたキーテクノロジーの一つです。同技術などから生成した燃料を使ったバスが大阪万博で運行されるなど、実用化も進みつつあります。実習では、このDACプロセスの要となる「CO₂を吸着する分子設計」をMatlantis上で設計・検証することに挑戦しました。

参加者たちはまず、Matlantisの操作画面の説明を受け、実際にどのように操作していけばよいのかを学びました。次に、Matlantis内のExample(サンプルコード)を使って、エネルギー計算や分子動力学計算、反応経路探索(NEB計算)といった基本操作を体験。従来なら数時間から数日かかる計算が一瞬で終わるスピードに、驚きの声が上がりました。

続いて実習パートのメインテーマへ。グループごとに「どのような構造がCO2を効率よく吸着・解離できるか」という仮説を立て、Matlantis上で分子構造を設計しました。 「CO2との吸着だからアミド基を使えないか」「今年のノーベル化学賞の受賞テーマとなったMOF(金属有機構造体)のパーツがヒントになるかも」「環状構造の平面でうまく吸着させたい」など、基礎化学に基づいた多様なアイデアが飛び交いました。

参加者はアイデアを即座にMatlantisで計算・評価(吸着エネルギーに基づきSS〜Cランクで評価)。結果を見てすぐに次の戦略を議論し、また計算にかける、という高速な試行錯誤を繰り返しました。

この日、最も優れた評価の吸着剤を設計したのは、なんと福井謙一センターの佐藤徹センター長でした。佐藤センター長は、最初の設計では「A評価」でしたが、Matlantisで構造やエネルギーを即座に確認しながら3〜4回の改良を重ね、短時間で「SS評価」の構造に辿り着きました。理論化学の深い洞察と、それを瞬時に検証できるMatlantisの威力が組み合わさった象徴的なシーンとなりました。

※  評価基準は、先行研究に基づいた大場氏独自の基準であり、実際の吸着剤の実用性をあらわすものではありません。

参加者の声:「計算化学のあり方が変わりそう」

参加した学生や企業研究者からは、Matlantisのポテンシャルを実感する多くのコメントが寄せられました。

●「Matlantisの計算速度が想像以上に速くて驚いた。この短いワークショップの時間でも何回もアイデアを試して計算できるので、これまでの計算化学のあり方が変わりそう」

●「この計算速度と、従来の量子化学計算よりも大きな系を扱えることを考えると、自分自身の研究テーマを広げることができると感じた」

●「グループワークで議論しながら計算結果をすぐに見る様子から、実際の材料開発現場で技術者がMatlantisを囲んでディスカッションしているイメージが具体的に湧いた」

まとめ:基礎化学とAIが拓く、材料開発の未来

今回の講座は、AIシミュレーションの圧倒的な速度と汎用性が、材料探索のプロセスを根本から変革する可能性を具体的に示す場となりました。

福井謙一センターの「基礎化学」の知見と、ENEOSが推進する「AIによる産業応用」が交差した本講座。DACのような地球規模の課題解決に対し、AIシミュレーション技術がいかに強力な武器となり得るかを、参加者全員が実感する濃密な時間となりました。Matlantisは今後も、教育と産業の両面で研究の加速と人材育成を支えていきます。

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