研究所ごとのMIでは終わらせない──住友電工が進める「技術で勝つ」ためのMI
- 住友電気工業株式会社
- 業種:非鉄金属・電線・電子部品・自動車部品
- 事業内容:住友電工は、環境エネルギー、情報通信、自動車、エレクトロニクス、産業素材の5つの事業分野を展開するグローバルメーカーです。電線・ケーブル、光通信部品、自動車用ワイヤーハーネス、電子材料、半導体関連材料、切削工具など幅広い製品を開発・製造し、エネルギーインフラ、情報通信ネットワーク、モビリティ、エレクトロニクス産業を支えています。
「新製品開発の長期化や挑戦の難しさが増す中で、製造業が本来持っていた『技術で勝つ』という原点をもう一度呼び覚ます必要があるのではないかと思ったんです。」(高桑氏)
近年、多くの企業でマテリアルズインフォマティクス(MI)の導入が進んでいます。しかし実際には、特定の研究テーマや組織の中だけで活用が完結し、担当者の異動や組織変更とともにノウハウが失われてしまうケースも少なくありません。
また、材料探索の効率化だけでは、製造業における真の競争力にはつながりません。新しい材料を見つけるだけでなく、その材料を製品として成立させ、量産へとつなげていく必要があるからです。
住友電工では、こうした課題に向き合いながら、「技術で勝つ」という製造業本来の原点をもう一度呼び覚ますことを目指しています。その実現に向けて、「産業用途のMI」をテーマに、実験・シミュレーション・データサイエンスを横断した研究開発基盤の構築を進めてきました。
その中でMatlantisは、単なるシミュレーションツールとしてではなく、材料に関する知見を蓄積し、研究開発全体を前に進めるための基盤として活用されています。
今回は、Matlantisを提供開始当初から活用してきた高桑氏、実際の研究現場で活用を進める野間田氏、そしてMIPI推進グループでMatlantis活用推進に携わり、現在は光通信研究所で研究開発に取り組む今泉氏の3名に、住友電工が考える「産業用途のMI」と、その実現に向けたMatlantis活用について伺いました。
目次
住友電工がたどり着いたMIの形
Q.まずは皆さんが所属されている部署の役割について教えてください。
高桑:
一言で言うと、「マテリアルズインフォマティクス(MI)を産業用途で活用する」というところをミッションとした組織です。材料開発の基礎研究から量産移管までを1つのエンジニアリングチェーンとして捉え、その中でどこにボトルネックがあるのかを見極め、効率化や高度化を進めています。
材料開発では、MIを活用して良い材料が見つかったとしても、事業化や設備化の段階で課題が発生し、研究開発へ差し戻されるケースもあります。そのため、良い材料を見つけて終わりではなく、プロセス制御やプロセスインフォマティクス(PI)も組み合わせながら、基礎研究から量産移管までのハードルを各研究所と連携して乗り越えていくことが私たちの役割です。
MIPI推進グループは、自ら材料テーマを持つ組織ではありません。各研究所や事業部の新規材料・新製品開発チームと連携しながら、研究開発全体を支援するハブ組織として活動しています。

写真右から:研究開発本部 DX技術研究所 AI推進部 MIPI推進グループ グループ長 高桑 達哉 氏、同グループ 野間田 玲 氏
ーー他の、実際に研究テーマを持っている方々と一緒に、材料設計から量産化までを伴走するようなイメージですね。
高桑:
普段は各研究所や事業部の責任者と対話する機会が多くて、「2030年頃までにこういうものを事業化したい」といった事業計画を共有いただきます。その中で、MI/PIを活用することで効率化できるテーマや、利益へのインパクトが大きいテーマを重点コミットメントとして設定し、一緒に取り組んでいきます。
そうしたテーマは技術的な成果だけでなく、事業成果にもつながるため、本気度が変わってきます。まずは経営層や研究所と対話しながら重点テーマを決めることが活動の中心です。その後、一緒に取り組む中で研究所や事業部側のDXやMIへの理解が深まると、「実は他にもこういうテーマがある」と担当者レベルで相談をいただき、新たな研究につながっていくことも多いですね。
技術だけでなく、コーポレート的な役割も大きいと思っています。
会社の事業戦略や研究開発における共通課題を見つけ出し、「なぜこのテーマに取り組むべきなのか」という部分に共感してもらいながら進めることが重要です。単なる技術計算部隊というよりは、研究所や事業部をつなぐコーポレートハブ、あるいは企画機能に近い役割が求められるようになってきました。
ーーかなりユニークな体制ですね。住友電工さん特有の組織なんですね。
高桑:
各研究所でMI/PIに取り組むと、その分野は非常に進むんですけど、全体最適の観点で見ると、その組織だけが伸びる形になりやすいんです。場合によっては、隣の部署から「MIなんて手伝わないといけないの?」という声が出て、組織の分断が起きることもあります。
また、推進役となるパワーのある人が異動した瞬間に、MIやPIの取り組みそのものが止まってしまう。そういう例もいろいろ見てきました。
そういったことにならないためには、技術や個人に依存するのではなく、仕組みとして経営戦略に根付いたMI/PIをやっていく必要があります。それが私たちの根本の思想であり、その考え方を追求した結果が現在の体制です。
Q.ーーその中で、高桑さんと野間田さんはそれぞれどのような役割を担われているのでしょうか。また、チーム内では専門領域ごとに役割分担されているのか、どのような体制で活動されているのか教えてください。
野間田:
私は、事業部や研究所の担当者レベルで「こういうことができないかな」という相談を受けて、その課題をシミュレーションやデータ解析などで解決する研究支援を行うことが主な仕事です。
例えば、品質向上や不良解析などのテーマに対して、データから何が起きているのかを一緒に分析し、改善につなげていきます。どちらかというとプレイヤーとして動くことが多いですね。若手メンバーも同じような役割を担っていることが多いと思います。
チーム内での役割は、領域や手法ごとに担当が分かれているわけではありません。本当に解くべきなのは手法ではなく材料やプロセスの課題です。課題に対して最適な方法を選ぶ。必要であれば何でも自分でやる、そういうメンバーが多いと思います。
高桑:
私の立場としては、マネージャーとして事業部・研究所・経営層といったステークホルダーをつなぐ役割ですね。それぞれ悩みや課題が違うので、そこを解きほぐしながら、なるべく分断なく前向きな連携を作っていくことが自分のタスクです。
同じ価値を目指すためには、事業価値をしっかり共有し、「これをやるからMIやPIが必要だよね」というところにコミットしてもらう必要があります。格好良く言っていますが、飲み会などのソフトスキルでやっている部分も大きいですね。
一方で、マネージャーになっても最新技術には触れ続けるようにしています。社内では「黒魔術師」と呼ばれることもありますが、NNPやLLMなどの新しい技術を研究者へ共有したり、各研究所の尖った研究者同士をつないだりする役割も担っています。
事業価値の話は経営層にとっては面白いのですが、それだけでは研究者はワクワクしません。逆に技術だけ追いかけても事業にはつながらない。
だからこそ、その両方をつなぐ必要があります。例えば私たちのチームに声をかけてもらえれば、事業側とも技術側とも一緒につながっていける。そういう環境を作ることが自分の役割だと思っています。ワクワクとビジネス、その両立を何とか実現したいですね。
「技術で勝つ」という原点をもう一度呼び覚ます
Q.ーーワクワクとビジネスの両立を目指すというお話がありましたが、MIPI推進グループが現在のような体制になった背景には、どのような課題意識があったのでしょうか。
高桑:
私自身、この会社に入る前に事業側の経験もしてきました。事業がうまくいけばいくほど、最初は技術で勝っていたはずの会社が、次第にサプライチェーンやオペレーションなど、技術以外の部分で価値を出すようになっていく姿も見てきました。
もちろん、それ自体は重要なことです。ただ一方で、日本の製造業全体を見たときに、新製品開発に何十年もかかる、守るものが増えすぎて挑戦しにくくなる、といった状況も感じていました。
だからこそ、製造業が本来持っていた「技術で勝つ」という原点をもう一度呼び覚ます必要があるのではないかと思ったんです。
住友電工のような大きな企業がそうした姿勢を示すことができれば、日本のものづくり全体にも良い影響を与えられるかもしれない。そうした想いは今も持っています。

「何をするか」より「誰とするか」── 成果が人を動かし、同好会からハブ組織へ
Q.ーーそうした課題意識を持たれる中で、どのように現在のMIPI推進グループにつながっていったのでしょうか。
高桑:
会社の中を見ると、各研究所がそれぞれMIやPI、DXに取り組んでいました。しかし、やり方はバラバラで、結果として思うような成果につながらないケースも少なくありませんでした。
中には、データはあるけれど、そのデータで予測できるはずがないという状況で機械学習に取り組んでいるケースもありました。研究資産やデータを十分に活用できていないのではないかという課題感がありました。
そこでまずは、「こうやればできる」という成功事例を示そうと考えました。
ただ、最初から全社的な活動をしていたわけではありません。実は、転職してきた当初はMIをやるつもりはなくて、情報系の部署に入ったので、深層学習を極めようと思っていたんです。ただ、名前が珍しいので以前MIをやっていたことがばれてしまって(笑)、社内の別の研究所から「ちょっとMIをやってみてください」と声をかけていただいて、2週間に1回くらいの活動として、電池材料を見つけるようなテーマから始めました。
そこで計算などを使いながら候補を提案していくと、実際に手応えが出てきて、「こうやれば再現性よく材料探索ができるんだ」という理解が広がり始めました。さらに、ある研究所でうまくいった取り組みが他の研究所でも活用できることが分かってきたんです。
CTOの前で話す機会もあって、「何年もかかっていたものが、計算を使うと短期間で候補を出せるんだ」「実際にやってみると当たるんだね」と関心を持っていただけたんです。そこから他の研究所でも「もっと同じようなことができないか」という形で活動が広がっていきました。
ただ、やはり結局は「何をするか」よりも「誰とするか」だと思っています。組織のキーマンを押さえておくと、何か困った時に助けてもらえる。そういう考えはMIに限らず、入社した時から意識していました。
面白いことに、こちらから各研究所へ足しげく通って仲間を探したというより、発表をきっかけに向こうから声をかけていただくことが多かったんです。社内で発表すると、それを聞いていたキーマンとなる方からTeamsで「今聞いていました」とコメントが来るんです。
類は友を呼ぶというか、そういう形で少しずつ仲間が集まってきた感覚があります。そうした方々と一緒に成果を積み重ねる中で、「各組織が個別に取り組むよりも、共通の知見やノウハウを横展開しながら進めた方が良い」という考え方が広がっていったんです。
その後は研究代表やDX代表として発表する機会も増えていきました。住友電工のDX大会にも第1回から参加させていただいて、入社半年後には代表として登壇しました。その時に紹介したのが、Matlantisを活用した材料探索の事例です。ちょうど取り組んでいたテーマで、Matlantisを使うことで材料探索が大きく加速し、特許につながるような候補材料を見つけることができました。
DX大会でも大きな反響をいただきました。私自身も、Matlantisを使うとここまで研究開発のモードが変わるのかと感じました。
Matlantisが研究開発の当たり前に
Q、ーー先ほどのお話を伺うと、MIPI推進グループがまだ同好会のような活動だった頃からMatlantisを活用されていたんですね。どのような経緯でMatlantisを知り、導入しようと思われたのでしょうか。
高桑:
Matlantisに関しては、本当にワクワクしました。直感的に、とんでもないものが世の中に出たなという感覚がありました。
インフォマティクスの観点でいくと、シミュレーションというのは、いくら計算しても現実系をぴったり合わせることはできないという命題があると思っています。
だったら、ある程度は現実のデータとシミュレーションを特徴量として使いながら、足りない部分を合わせ込んでいく。そういうやり方がこれからの形になるんじゃないかと思っていました。
単分子のような小さな系では比較的やりやすいのですが、もう少し大きな系になると難しい。そこに、DFTに近い精度を持ちながら、分子動力学できるレベルのスピードで計算できるものがあれば理想だと思っていたんです。
それが理想の形として出てきたのが、NNPでありMatlantisでした。
ベースラインモデルでも、自分たちで大規模に学習しなくても、新しい原子の組み合わせに対してある程度の精度が保証されている。これはかなり強力だと思いました。
「これは今後来る技術だな」と感じて、いち早く導入しようと決めました。実際、リリースから3〜4日後には問い合わせをしていたと思います。
Q. Matlantisを活用することで、研究開発の現場ではどのような変化や価値が生まれていると感じますか。
高桑:
現在は、ほとんどのスクリーニングに、Matlantisが登場することになったと思います。
今まで未知の材料を探索しようとすると、DFT計算を回したり、文献ベースで候補を探したりしていました。ただ、Matlantisは非常に速く、それでいて十分な精度で結果が得られるので、本当にデータがまだ10点程度しかない初期段階で「あたりをつける」ような場面では、まずMatlantisでモデリングするという流れができています。
さらに実験データが蓄積されてくると、グレーボックスモデルのように、特徴量の一部に物理モデルを取り入れた外挿性の高いモデルづくりにもつながっていきます。
そういう意味では、研究開発のイニシャルの部分は大きく変わりましたし、今ではMatlantisなしでは難しいところまで来ていると思います。

野間田:
私はMatlantis導入前の環境を知らないので前後比較はできないのですが、計算化学をやってきた立場からすると、計算に対するイメージそのものが大きく変わったと感じています。
量子化学計算やDFTを回すとなると、やはり時間がかかるという認識がありました。それがMatlantisによって計算自体が非常にスピーディーに回るようになり、計算というものに対するイメージが大きく変わりました。
今までの計算化学などを用いた研究では、計算速度やリソースとの兼ね合いで、ある程度できることがどうしても限られていました。Matlantisが入ることによってさらにできることが増えるので、本来計算は実際に存在している課題を解くためのツールとして使うという観点であれば、実際の課題を解くためのツールがさらにパワーアップしたという感じで、より課題自体に思考を向けるというのに、課題自体を解くことにリソースを割きやすくなるような変化があったのではないかなと感じています。
実験の方々や他の事業部の方から「この結果を出してください」と依頼を受けても、納期を考えると、その中でできる最低限の範囲で一番良いものを出すという考え方になってしまいますよね。Matlantisによって計算の制約が小さくなったことで、そうした制限をあまり意識せずに課題そのものへ向き合えるようになったと感じています。
また、計算結果をすぐ出せることによる変化も大きかったと思います。実際に計算のトラジェクトリを見せながら説明すると、どういうシミュレーションをしたいのかという観点が可視化できますし、「ここは変えられるんですか」といったディスカッションも生まれます。
Matlantisがあることで議論が深まるのはもちろんですが、大きな計算結果もすぐに見せられるので、アイスブレークではないですが、コミュニケーションのきっかけにもなっています。
ーー高桑さんはチーム発足当初からMatlantisを導入・活用されていますが、この約5年でMatlantisの社内での位置づけや受け止められ方に変化はありましたか。
高桑:
まず、研究サイドからの信頼はかなり高まったと思います。
最初は「Matlantisって何だろう」という感じで、第一原理MD計算とよく比較されていました。400原子くらいの系で比較して「ダメだ」と言われたりもしていて、なかなか厳しい評価を受けることもありましたね。
ただ最近は、そういう方もあまりいなくなってきました。「速いし、まずはやってみたらいいんじゃない」という雰囲気になってきていて、信頼が積み上がったというか、研究者側も慣れてきたんだと思います。第一原理MDと比較する前に、とりあえずMatlantisで計算してみようという流れになってきた気がします。
一方で、私たち自身も自動探索やMatlantisの活用に詳しくなってきました。発表などでMatlantisをお見せしながら説明する機会も増えたことで、各研究所でも「面白いね」「Pythonを少し使えば、自分たちでも活用できるんじゃないか」と考える方が出てきています。
計算化学のバックグラウンドを持つ研究者が「ちょっとやってみよう」と使い始めるケースも増えましたね。
教育的な効果も大きいと思っています。原子の気持ちになるというか、エネルギーがこれだけ増えていたらちょっと厳しいな、といった感覚が自然と身についてくるんです。
まずは触ってみて、少し離れて、また戻ってくる。そういう使い方をする人も増えてきていますし、計算化学に対するライトユーザーの入り口としても機能するようになってきたと感じています。

LightPFPで一気に見える世界が変わった
Q.ーーMatlantisが社内にかなり浸透してきているんですね。そうした中で、最近は追加機能のLightPFPも活用いただいていますが、どのような場面で使われているのでしょうか。
野間田:
弊社は製造業ですので、実際にモノを作るプロセスの中で、圧着や研磨といったさまざまな加工工程があります。その加工中に表面でどのような反応が起きているのかを再現するために、分子レベルの反応解析へPFP(Matlantis)を活用しています。
実際に弊社の製品に使われる加工プロセスの中にも機械的な現象が多いんですけど、化学的な要因というのが影響するものも結構中には入っていて、双方からの理解がどうしても必要になってきます。そうした多種多様な現象を表現する上で、汎用的なポテンシャルであるPFPは非常に強力だと感じています。
今PFPの話をさせていただきましたが、比較的小さな系で再現できる反応であれば、本当に非常に役立つツールです。
ただ、実際の現実問題を再現しようとすると、もっと複雑な要素も考慮しなければなりません。例えば溶媒を入れたり、着目している材料以外の周囲環境まで含めてシミュレーションしようとすると、どうしても系のサイズが爆発的に大きくなってしまいます。そこは以前から「ちょっとどうにもならないな」という課題感がありました。
そこで今回LightPFPが登場し、軽量なポテンシャルを構築することで、PFPよりさらに数十倍大きな系を扱えるようになりました。私たちが取り組んでいるような複雑な加工プロセスを考えると、本当に課題に対する解決策になっていると感じています。
複数の要因が影響し合う現象を再現するには、こうした強力なツールがあると非常にありがたいですね。制約が一つ外れて、一気に見える世界が変わったなという感覚があります。
高桑:
住友電工はアセンブリ製品や複合材料が多いので、一つの材料だけを見るのではなく、異なる材料を接合したり、熱圧着したりと、どうしてもプロセスまで含めて考える必要があります。
そういった意味では、LightPFPは当社のニーズにかなり合っていると思っています。
あと、Matlantisが社内に結構根付いてきたので、みんなわがままになってきていて。「もっと早くできないか」「もっと大きな系を扱えないか」という声がどんどん出てくるようになりました。
LightPFPにはかなり熱い期待が集まっていますね。「使ってみたい」という人も多くて、「ちょっとこの時間だけこの人の環境に付け替えてくれないか」といった相談も来るんです。最近は本当にLightPFP人気が高くて、私は付け替え作業屋さんみたいになっています(笑)。

事例取材に駆けつけてくれた光通信研究所 光伝送媒体研究部 今泉 伊織 氏。前所属のMIPI推進グループでMatlantis活用推進に携わり、現在は研究現場で活用を進めている。
仮説を立て、構造を読み解く──Descriptors活用の現在地
Q.ーーさらに、昨年(2025年)夏に公開されたPFP Descriptorsも活用いただいているかと思います。こちらはどのような目的で使われているのでしょうか。
野間田:
PFP Descriptorsは、例えば材料の物性を予測する際の特徴量を作るために活用しています。
将来的には、この特徴量を使って構築したモデルをもとに、さらに良い物性を示す新材料探索にも活用できるのではないかと考えていて、かなり夢が広がっている状態ですね。
実際に得られた特徴量に対して因子解析などを行い、主成分となる特徴量の構造を可視化しながら比較していくと、どういう構造であればさらに物性が良くなるのかといった仮説が立てやすくなります。
単に予測モデルを作るだけでなく、仮説を立てて検証するという研究開発のプロセス全体において、非常に重要な役割を果たしていると感じています。
私以外のメンバーもDescriptorsを活用していますが、特に評価されているのは、周囲の環境まで考慮した情報を特徴量として扱える点ですね。そうした情報を比較的扱いやすい形で取り出せるので、かなり好評だと思います。
今泉:
PFP Descriptorsは、局所構造や系全体の類似性評価やクラスタリングに活用しています。
従来の構造解析では、結合距離、結合角、配位数、RDFなど、人間が事前に定義した指標に基づいて構造を比較することが一般的です。一方でPFP Descriptorsを用いることで、人間が直感的には区別しにくい局所環境の違いを、高次元の特徴空間上で評価できる可能性があると思っています。
Descriptorsは構造の分類に使うことが多いですが、単に分類するだけでなく、分析の幅を大きく広げる可能性がある機能だと考えています。例えば、化学反応や吸着現象が起きやすい局所構造を抽出したり、特定の物性に悪影響を及ぼす構造を探したりするような、より高度な解析や効率的なシミュレーションの実施につなげられると思っています。
吸着が生じたサイトや反応が起きた部位の周辺環境のDescriptorsを収集し、特徴空間上で解析することで、吸着や反応の起こりやすさと局所構造の関係性を調べることができます。さらに、その関係性を利用することで実際に計算を行わずとも多数の構造から有望な候補を選定、その有望候補に限定して高コスト詳細な検証を行うといった活用が考えられます。
シミュレーションでは、価値の高い計算をいかに効率よく実施するかが重要です。その意味で Descriptorsは膨大な構造データから本質的な特徴や有望な評価領域を見出し、効果的・効率的な計算の実施を支援する非常に強力な武器となる機能だと感じています。
Q.ーー社内で活用する人も増えてきているとのことですが、そうした利用拡大に向けてはどのような取り組みをされているのでしょうか。また、使いこなせる人とそうでない人の違いはどこにあると感じますか。
高桑:
実際、ユーザーは増えていますね。
ただ、そんなに現実は甘くなくて、Matlantisをちゃんと使おうとすると結構難しいんです。レギュラーユーザーとして日常的に使う人もいれば、必要な時だけ使う人もいて、そのあたりの住み分けはだいぶ見えてきました。
私たちとしては、ワークショップを開催して3日間かけて教えたり、週に1回程度フォローしたりしています。やりたいことを聞いて、その課題に対してちゃんとできているかを一緒に確認していくような形ですね。
ただ、やはり個人差はあります。自分で調べながらどんどん使えるようになる人もいれば、時間がかかる人もいます。最後は本人のやる気や、どれだけ時間を割けるかという部分も大きいと感じています。
その違いは、よく考えたかどうかというところに近いかもしれません。
材料をモデリングする上では、さまざまな仮説を立てなければいけません。その仮説がどうやって正しいと証明できるのか、どこをモデリングすれば本質を外さないのかを考える必要があります。
結局のところ、その材料や現象を原子レベルで理解できているかに尽きると思っています。
特にMatlantisのような大きな系を扱えるツールでは、その理解がないまま進めると、いつまで経っても結果が合わなかったり、強引な仮説を置いてしまったりするんです。
やりたいことや目的に合わせて適材適所を見極め、整理しながら進められる人は習得も早いですね。研究の基礎能力が高い人ほど、自然と使いこなせるようになると思います。

AI×人間で変わる研究開発
Q.ーーここまで「技術で勝つという原点を取り戻したい」というお話を伺ってきました。そうした未来に向けて、シミュレーションはこれからどのような役割を担っていくのでしょうか。
高桑:
材料開発から量産化の手前までの領域は、今後ますますプラットフォーム勝負になっていくと思っています。
私が考えるプラットフォームというのは、シミュレーション、自動実験、人間の仮説、そしてAIが統合された仕組みです。さまざまなデータを学習しながら、LLMが判断し、それらを統合するオーケストレーションシステムが各社で構築されていくのではないかと思っています。
特にLLMとシミュレーションは相性が良いと感じています。仮説をもとに計算を実行し、その結果からまた新しい仮説を立てる。そうしたクローズドループがすでに広がり始めています。
Matlantisもこうした流れとは非常に相性が良いと思っています。今後はJupyter Lab上で人が操作するだけではなく、AIや外部システムとつながりながら活用される場面も増えていくのではないでしょうか。
自動実験やAI for Scienceまで含めた世界はもう少し先かもしれませんが、そこへ向かう流れは確実に来ていると感じています。
計算を実行する主体は人間からAIへ移っていくかもしれません。しかし、その結果をどう解釈し、どの方向へ進むのかを判断する役割は引き続き人間が担うことになると思います。
そうした人間とAIが協調する研究開発基盤の中で、シミュレーションはますます重要な役割を担っていくのではないでしょうか。
本事例の公開日:2026.07.21